「腕」と「運気」と「人の輪」で時代を乗り切る
落合鉄筋工業株式会社 (三芳町)
代表取締役 落合 和人様
鉄筋の組立・加工では東証一部上場の松井建設から厚い信頼を得ている落合鉄筋工業。社長の落合さんは、アルバイトから腕一つで幾多の山谷を乗り越えてきた、鉄筋一筋のプロフェッショナルです。人材育成や業界の活性化なども視野に入れながら、日々パワフルに活躍しておられます。色々と話を伺いました。
井筒 この仕事を始めたきっかけは何だったのですか?
落合 19歳のとき、アルバイトをしたのがきっかけなんです。高校時代は柔道部、大学時代は応援団で、とにかく身体を動かすことが好きだったので、仕事は何でもよかった。大学は1年で辞め、その後、大手ゼネコンの子会社に入社、23歳で独立しました。その7年後に法人化しました。
井筒 それからは鉄筋一筋ですよね。
落合 今のクライアントである松井建設(1586年創業)さんと出会ったのはもう30年くらい前になります。最初は小さな仕事でしたが、それをきっかけにお付き合いが拡大し、今では同社の協力会の会長をやらせていただいています。我々の仕事に営業は要りません。いわば、働いている職人全員が営業しているようなもので、高品質、納期、安全を確実に守る、その積み重ねが私の会社を支えていると思っています。
井筒 長く会社を続けてきた秘訣のようなものはありますか?
落合 男は一生仕事だと思っていますが、私はそもそもこの仕事が好きなんですよ。小さなころからモノ作りに興味があり、たまたま鉄筋と出会ったわけです。建物においては鉄筋は重要な存在であり、イメージどおりに加工し、それが社会に役立てられることは何よりも私の喜びです。
井筒 業界は、昔と今とでは違いますか?
落合 全然違いますね。耐震設計などが重視され、構造設計図や施工図にもより専門的な知識が求められ、随分難しくなった印象です。職人のイメージも変わりました。私の若いころは、先輩に訊いても何も教えてくれず、腕を磨くには他人から盗み取るのが当たり前の時代でした。若い人たちに気を使う今とは隔世の感がありますね。今の人たちは給料も休みも欲しがりますが、そもそも職人は保障がなくて賃金がよかった。今は単価も下がっており、若い世代の上昇志向を削ぐ要因にもなっています。
井筒 雇用の難しさに対しては、どのように対応されていますか?
落合 1980年代の終わりから外国人技能実習制度を活用し、日本に3年間滞在するインドネシアの実習生を3人ずつ、延べ9人を受け入れています。日本より生活水準の低い彼らは、贅沢もせず、貯金・仕送りをしながら真面目に働いています。今の日本の若い子たちにも見習ってほしいほどですよ。
井筒 これまでさまざまな出来事があったと思いますが…
落合 私は決まり切った平坦な人生を歩むのが向かないんです。レールを敷かれるのも時間の切り売りも好きではありません。いい時代も謳歌した一方、辛い時期も乗り切ってきました。とはいえ、波があるのが人生です。それを乗り越えていくのが好きなんです。もちろん、腕だけではやっていけません。運気もあるでしょうし、周囲の皆さんの助けもあって今の会社があると思っています。
井筒 なるほどです。では、今後の目標についてお聞かせください。
落合 鉄筋について知らない若い人たちも少なくありません。次代を担う人材育成のためにも、もっと鉄筋に対する理解を深めてもらい、その技能を習得できる仕組みや機会をもっと増やしてもらうべく、力を尽くしたいと考えています。震災以降沈静化していたこの業界も徐々に活性化してきた。これからが楽しみですね。
【インタビュー後記】
弊社の保険契約者でもあり大変お世話になっている落合社長。建設関連の社長らしく豪快でちょっと強面だけれど、にっこり笑うと人の良さが内面から滲み出る。嘘の付けない正直な人なので、色々な面で勉強させてもらっている。声が大きく、パワフルな性格なので会社の何処にいてもすぐ分かる。
■落合鉄筋工業株式会社
〒354-0045 埼玉県入間郡三芳町上富2278
Tel : 049-259-1421 Fax : 049-258-9423
落合鉄筋工業株式会社 会社HP
【落合和人さんプロフィール】
1955年兵庫県生まれ、秋田県育ち。30歳で落合鉄筋工業を設立。趣味は、昔は社交ダンス、今はドライブ。松井建設株式会社 東京松交会会長、社団法人全国鉄筋工事業協会 東京鉄筋工業協会常務理事、東京都技能検定委員